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2012年8月10日 第1394号

にしのみや歴史見聞録 越水城(桜谷町)

このコーナーでは、西宮の歴史スポットを紹介します

本格的な城郭建築

写真:「越水城跡」石碑
※アクセス…阪急電車「夙川駅」から
東北へ徒歩約15分

大社小学校敷地東南端に「越水城跡」と刻まれた石碑が建っています。

越水城は1519年、瓦林正頼が築城したといわれています。

堀・壁・土居・矢倉を備えた本格的な城郭建築で、場所は現在のニテコ池の南東に位置し、その敷地は南北に200メートル、東西100メートルと推定されています。

応仁の乱に始まる戦国時代初期、細川家(澄元と高国)の内紛が起こり、初代城主・瓦林正頼は高国方につきます。正頼は四国から上洛してきた澄元に破れ、堺に亡命。その後、澄元と内通していたという嫌疑をかけられ切腹することになります。

正頼の死後、澄元の家臣と瓦林氏の一族の城を奪い合う攻防が繰り返されました。正頼の後の越水城は、当時、13代将軍・足利義輝を追放して近畿地方をおさえた三好長慶が入城したことで、よく知られています。

その後、織田信長入洛により、越水城は歴史の表舞台から姿を消すことになりました。

現在、城を思い起こさせるものは石碑しかありません。ただ、越水の由来となった「小清水」の名が示すとおり、越水の井戸水が、越水城を語り継ぐものとして湧き続けています。

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