メッセージ「もしかしたら、えべっさんのお導きだったのかもしれない」松尾諭
県立西宮南高校卒。役者を志して上京し、2000年に映画「忘れられぬ人々」で俳優としてデビュー。オーディションで「SP 警視庁警備部警護課第四係」のメインキャスト役に抜擢(てき)され、注目を集める
2020年、初の著作"自伝風"エッセイ「拾われた男」を刊行。ディズニープラス/NHKでドラマ化される。出演は映画「テルマエ・ロマエ」「進撃の巨人」「シン・ゴジラ」「地獄の花園」、ドラマ「最後から二番目の恋」「デート」「ひよっこ」「わろてんか」「舞いあがれ!」、舞台「アルトゥロ・ウイの興隆」「しびれ雲」など多数。現在、newsおかえり(朝日放送)火曜日レギュラーコメンテーターとして出演中。マイブームは発酵食品作り
「あけました」
西宮で過ごした、せっかちでひねくれていた思春期、僕はその一文を筆ペンで書いただけのものを年賀状として送っていました。
正月の原風景というと、阪神西宮駅から西宮神社境内まで続く参拝客の人混みと、道の両脇に所狭しと居並ぶ露店が思い浮かばれる。幼い頃はその熱気に心を躍らせていた記憶はあるが、小学校高学年にもなると遅々として進まない人の流れに嫌気が差し、露店で買い食いをしたくても、父が難癖をつけてリンゴあめひとつ買ってもらえなかった。
中学に入ると、家族で参拝することもなくなり、友人と行くようになったものの、思ったよりも値の張る露店の商品と、ちっとも当たらない祭りくじでお年玉は散財するし、ようやくたどり着いた本殿で必死に手を合わせても、願いなどかなわない事を知る。
高校生になると初詣に行くこと自体に疑問を抱くようになったが、かと言って行かないと何か良くない事が起こるような気もするので、時期をずらし、十日えびすが終わった後にお参りすることにした。
一月の半ばを過ぎた西宮神社は、忘れられたかのように人影が少なく、数日前までの喧(けん)騒がうそのように静まり返っていた。
まず驚いたのが境内の広さで、人垣がないおかげで境内の見通しがよく、その時初めてそこが美しい神社であることを知った。きれいに手入れされた植林や、歴史を感じる欄干や常夜燈には、飾らない美しさがあった。
本殿まで進むと静寂は深くなる。石段を上がり、さい銭に五円玉を入れ手を合わせ、目を閉じると、冷たく澄んだ空気に包まれて、まるで自分が神社の一部へと溶け入っていくようだった。そうなると願い事などどこかへ行ってしまい、ただ何も考えず、いつまでもその空気に身を任せていられた。
どれくらいそうしていたか分からない。ふっと目を開けると辺りの景色がそれまでと変わっていたような事はなく、何か良いことが起こりそうな気がしたなんて事もない。ただ、妙に心が晴れやかになった。その感覚は初めて味わうもので、なんだか得をしたような気がして、ニヤニヤとしながら本殿を後にした。
そしてその年の秋、同じく阪神西宮駅の北側にある西宮市民会館で、初めて生で演劇を見て役者への道を志す決心をしたのは、もしかしたらえべっさんのお導きだったのかもしれない…いや、実のところは、市民会館に行ったのはその次の年だったような気もするので、えべっさんは関係ないかもしれない。ただどちらにしても西宮駅周辺は、僕にとってありがたくめでたい場所である。
今年は関西での仕事が多いので、久々にすっぴんのえべっさんに会いに行こうと思う。
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