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戦争体験談「平和への願い」

更新日:2024年9月2日

ページ番号:26809551

 

平和への願い

渡部 九郎

 
 私は福島県の会津中学(旧制)を卒業して横浜国大航空工学科に入学しました。在校中にアメリカの航空母艦から飛び立った飛行機の来襲を見ました.これが米軍が本土を攻撃した最初のものです。しかしこれは心理効果をねらったもので大した被害はなかったと思います。戦争がだんだんはげしくなってきて、私も昭和19年夏から実習を兼ねて川西航空機に入社して働くことになりました。現在の武庫川団地の場所に工場があり、何万人もの人が航空機の製造のために働いていました。
 私は設計の仕事をしていましたので、その部門が私立住吉小学校に疎開することになり、その年の10月頃からそちらで働いていました。そうしているうちに召集令状がきて、昭和20年1月1日より千葉県柏市の陸軍教育隊に入隊することになりました。従って、鳴尾に戦争中にいたのは半年足らずですので、その後の様子は知りません。
 
 私は幹部候補生として将校となるために教育を受けていたのですが、戦争が激しくなってきたので鹿児島県の知覧飛行場に行かされました。列車で運ばれたのですが、途中住吉駅近くで何時間か停車しました。その辺の景色を見て大へん懐かしく思いました。
 知覧飛行場では細長く土を掘り、その上に屋根をつけた古代の住居のようなところに寝起きしていました。そのうち米軍機の空襲がはげしくなってきて、私は左の肩に爆弾の破片の盲貫負傷をしました。左の肩から血が噴水のように飛んでいたのを今でも忘れられません。負傷をしたが命はあったと思うとヤレヤレと安心しました。周囲を見ると戦友がゴロゴロと何人も動かなくなっていました。みんな大学出身者ばかりでした。将来の夢をもっておられた親たちはどんなにつらかっただろうと思います。
 
 その後、九州のあちこちの陸軍病院に送られ、最後に熊本の陸軍病院に送られ、そこで破片を取り出す手術をすることになりました。しかし8月15日戦争が終り、米一升位をもって郷里に帰れと言われました。左手が不自由なまま会津に向かって汽車に乗りました。ところが筑后川の鉄橋が空襲で破壊され列車が通ることができません。皆んな歩いて渡ってくださいとのことでした。私も仕方なく、左手が不自由なので、右手と足で鉄橋を渡りました。下を見ると大きな川が流れています。転落したらもう命はありません。必死になって渡りました。途中、反対側からくる将校が大丈夫か?と言葉をかけて励ましてくれました。大へんうれしく感じました。ようやく川を渡ることが出来、再び列車に乗りました。そして下関で途中下車し、食堂に入ろうとしたら、親切な母娘の方が食券を使いなさいと言ってくれました。全くの他人から親切を受け、この時も感激しました。名前も聞かなかったので今でも御礼の言いようがありません。残念に思っています。もうそのお母さんはこの世にはおられないと思います。それから又、列車に乗り、寝るために島根県浜田で下車しました。ここでも親切な方があり、宿泊させていただき、食事もいただきました。この方の親切さも今もって感謝の気持が湧き出るのですが、当時は若気の至りでお名前、住所を聞きませんでしたので、お礼の手紙を書くこともできません。
 
 こんなことをしながら北陸線、磐越西線をゴトゴトと鈍行列車が走り、ようやく会津若松に到着しました。自分の家の前に立ったとき、私が病衣をきているので、母親が何とも言えない顔をして迎えたのを思い出します。わが子が負傷して可愛そうだと思ったのでしょう。会津に帰ってから、とにかく早く肩のタマを取り除かなければならないと言うことで、地元の病院で手術をしました。手術代もかなりの金額でしたが、両親や兄に面倒をみてもらいました。
 一年ばかり療養して、昭和21年9月に鳴尾に働きにきました。昔の川西航空機、今の新明和工業(株)です。それからずうっと新明和とその関係の会社で働き、現在は職を放れ、武庫川女子大学生の下宿業をやっています。経済的にも恵まれ、今は幸せです。でも左手は不自由です。そのため上半身の運動もままなりません。
 
 戦争は二度としてはならないと本当に思います。日本は今、平和です。しかし世界では今だに戦争が行われています。中近東地区、カンボジヤ、ソマリア、ユーゴスラビヤ等々あちこちで戦争が行われています。これらの戦争は第一次、第二次の世界大戦のような、世界中の大掛かりな戦争ではないが、その土地の人々にとっては大きな戦争です。私と同じような、又それ以上の苦しみを受けていると思います。民族、宗教、国家等がからんで戦争はなかなかなくなりません。これだけ世界の文化が発達し、これだけ賢い人々が指導者として活躍しているのに、戦争をさけることができません。米ソ両大国の話し合いでも、戦略核兵器を削減する話はしても、全廃するところまではいきません。現在戦争が行われている中近東地区、カンボジヤ、ソマリア、ユーゴスラビヤ等いづれも、米ソはじめ先進国が輸出した武器で戦っているのです。武器を売らなければ戦争も大きな被害になりません。こんなやさしいことが世界で実施されないのです。動物の世界でも種族間の争いはあっても、同一種族内の集団的争いはありません。人間社会だけが集団で争いをします。これは自分たちだけが幸せになろうとする心から発展しているのです。勿論、競争は必要です。競争がなければ文化も技術も発展しません。しかし競争は反道徳的、暴力的であってはなりません。あくまでも道徳的であり、他人の傷みを考慮する競争でなければなりません。

 この世から暴力を追放することができないだろうか。これからの世代の大きな仕事だと思います。
 

令和6年8月18日寄稿


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