【満池谷】越水浄水場の竣工
更新日:2022年1月25日
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越水浄水場の竣工
蛇口をひねれば水が出る、いまではあたり前の光景も、大正時代まで飲料水・生活用水の確保は簡単ではありませんでした。西宮で上水道施設が敷設されることになったのは、水系伝染病コレラの大流行もありますが、西宮の主産業であった酒造業の影響も大きかったようです。
酒どころ西宮の醸造用水は、専用井戸からくみ上げられる「宮水」です。宮水が湧出するのは市の一小区域に限られ、一般の井戸水は飲用には向かず、加えて毎年正月前後3~4ヶ月の酒造期に入るとたちまち枯渇してしまうものが多く、木製の水箱を荷車に乗せ、家庭へ配って急場をしのぎました。
大正6年から上水道敷設の調査を開始しましたが、敷設に必要な経費は約100万円。市制施行前の西宮町の年間予算は33万円。容易に確保できる金額ではありませんでした。そこに酒造家辰馬吉左衛門氏から50万円、八馬兼介氏から30万円という多額の寄付の申し出があり、ようやく上水道の敷設へと進むことになります。
大正11年から工事は進められ、瓦木村菰池(こもいけ)を水源とする武庫川水源地は大正12年11月に完成します。
武庫川水源地は低地にあるため、浄水場までの送水に動力費を要すること、水量は豊富であるものの、夏場の渇水期に灌漑用水として引用されることから、捕水のため夙川上流の水分谷と剣谷川の合流点上流を第二取水地とし、また万一の渇水を考慮してニテコ池及び鷲林寺の夫婦池を予備の貯水池としました。
これらの水を浄水場・ニテコ池に送水する「越水浄水場」が大正13年6月完成しました。竣工式は大正13年6月8日に執り行われます。新聞には「…祝賀旗を張りめぐらした水源地へ300余名の来賓が自動車で続々と運び込まれた。三越音楽隊の奏楽に続いて竣工式が行われた。引き続き模擬店や園遊会が催され、芸者の手踊り、各町内の屋台や行列が練り込んで興を添えた。午後には祝賀宣伝飛行が行われ、式場の上空で旋回飛行をしたのち市街地上空より低空飛行をしながら西宮で初めての空中宣伝ビラを撒いた。…」と伝えています。
浄水場意匠
建設された施設は、武庫川水源地、越水浄水場とも似たような意匠です。設計者は定かでありません。
昭和8年、西宮市は大社村、今津町、芝村と合併し人口が倍増したため、拡張工事を行うことになります。ニテコ池と武庫川水源地の意匠はこのときに変わったようです。
浄水場が設立された翌年、施設の完成を記念して、構内園地に有志が1人10本ずつ桜を寄付して100本余が植えました。現在は約200本の桜があり、毎年、「さくらの通り抜け」としてこのうちの22種約120本が一般に開放されています。
参考文献
『水道誌』
『西宮市上水道要覧』
『西宮市史3巻』
『西宮市上水道』(昭和11年)
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