【西宮港】「青少年海の家」と海洋少年クラブ(昭和39年8月)
更新日:2022年1月25日
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西宮ヨットハーバーに「青少年海の家」が設置され、開館式が行われたのは昭和39年8月24日です。ここを拠点に昭和42年、戦後では国内で2番目のシースカウト「西宮海洋少年クラブ」が結成されました。
西宮の海岸とヨット
西宮の浜辺には多くのヨットが係留されていました。戦後すぐに開催された市民スポーツ祭ではヨットレースが行われており、昭和27年のヘルシンキオリンピックでは西宮市から海徳敬次郎氏がヨット代表として出場し、また昭和28年には学生ヨット選手権大会が香櫨園浜で開かれています。西宮のヨット愛好家は多かったといえるでしょう。海水浴でにぎわう香櫨園浜では貸しボートとともに貸しヨットもあり、市民に身近な存在でした。
昭和31年第11回国民体育大会が兵庫県で開催されました。西宮市は夏に水泳、体操、ヨット、秋に蹴球と高校野球の5種目を開催します。
西宮ヨットハーバーの整備
これを機に西宮港周辺の改修と並行して、ヨットハーバーは整備され、ヨット艇庫を建設し、競技施設をつくりました。
昭和37年5月12日、堀江謙一氏はマーメイド号で西宮ヨットハーバーを出航します。太平洋横断をシングルハンド(単独航行)で成功させたことにより、西宮ヨットハーバーは世界的な脚光を浴びることになりました。
「青少年海の家」の設立と海洋少年団構想
この堀江氏の業績を称え、昭和39年8月、関西ヨットクラブがクラブハウスを建設し、敷地を提供した西宮市はクラブハウスの1階に「青少年海の家」を設立しました。
海の家は、青少年に共同生活を通じて、海に親しむと同時に海洋知識を高めてもらうため、食堂、宿泊施設、シャワー室、資料室などが設けられました。
当初から海のボーイスカウトというべきシースカウト構想がありましたが、直後の台風で港湾施設に甚大な被害を受け、なかなか実現には至りませんでした。
昭和40年6月、まずは勤労青少年や市内教員などが対象のヨット教室・カッター教室を開始しリーダーを育成しようと、Y15型ヨット(長さ15フィート、4人乗り)とカッター(長さ8m、10人乗り)各2隻を購入します。
西宮海洋少年クラブの活動
翌昭和41年、中学1年生を対象にカッター教室を開講し、これを母体に昭和42年6月25日、戦後では国内で2番目のシースカウト「西宮海洋少年クラブ」が結成されました。
毎月1回、カッター・ヨットの操船、手旗信号・救助法などの実地訓練のほか、天気図の見方、船の種類や歴史、潮流などの海洋知識を勉強しました。
発足から2ヶ月の8月20日。神戸商船大学の好意によって実習船白鴎(はくおう)を借り受け、淡路島への航海実習が行われました。
10月には関西汽船会社から短艇(長さ4.5m4人漕ぎ8人乗り)のカッターが贈られ、訓練にも弾みがつきます。
新西宮ヨットハーバーが建設され拠点が移り、また芦屋市に県立海洋体育館ができたため次第に利用が少なくなったこと、海の家の老朽化も加わり、平成19年に廃止となりますが、海洋少年クラブから巣立った子どもたちは、いまも西宮の海でヨットを走らせていることでしょう。
<参考文献>
『西宮あれこれ』(西宮市役所/昭和54年10月1日)
『Wind ward 』第24号(社団法人 関西ヨットクラブ/昭和59年9月1日)
『神戸新聞』(昭和40年6月12日、昭和42年5月3日、昭和42年6月26日、昭和42年10月2日)
『朝日新聞』(昭和42年5月3日)
『市政ニュース』第2号(昭和26年5月25日)、第102号(昭和31年9月10日)、第288号(昭和39年6月25日)、
第292号(昭和39年8月25日)、第363号(昭和42年8月25日)
『西宮市議会議事録』(平成19年3月)
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