【消防局】ウー・カン消防通信!~「特別救助隊発足」のお話~
更新日:2024年9月5日
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第19回
特別救助隊発足の背景
現在の救助隊の前身といえる日本初の部隊は、昭和8年に東京都で誕生しました。
それまでの火災による死者は、そのほとんどが焼死者でしたが、昭和7年12月16日に発生し、日本初の高層ビル火災となった白木屋火災では、火災による焼死者が1人に対して、墜落死が13人、負傷者が67人という大惨事となりました。
当時はまだ消防も警察組織の一部だった時代でしたが、警視庁消防部に属する神田消防署に救助自動車が寄贈され、また、それを駆使して人命救助を行う専属隊員が配置され、「専任救助隊」が編成されました。
しかし、太平洋戦争の開戦により防空消防に全力を注がざるを得なくなり、まもなくして廃止となってしまいます。
戦後、昭和30年、神奈川県横浜市にある聖母の園養老院で発生した火災では、職員を含む入所者99名が焼死。就寝中の高齢者という事もあり、救助する間もなく命が奪われてしまいます。
こうした火災の発生を契機として、「より迅速・確実に人命救助できる専門部隊」の必要性が叫ばれるようになりました。
そして、 横浜市では、昭和39年8月に、人命救助の専門部隊「消防特別救助隊」(通称:レンジャー隊)が創設され、また、東京都では、昭和44年8月に、特別救助隊(通称:レスキュー隊)が発足されました。
昭和50年 鳴尾消防署にて、ロープブリッジ渡過訓練を実施する特別救助隊員
特別救助隊の発足
西宮市では、昭和42年6月、特別救助隊を発足しています。全国の主要都市と同様、戦後の都市開発が急速に発展したことにより、西宮市においても、様々な事故で人命救助活動の必要性が増していたことが背景にありました。特に、高層建築物における人命救助活動です。
発足後間もなく、兵庫県伊丹市の陸上自衛隊伊丹駐屯地に配置されている陸上自衛隊第三十六普通科連隊に6名の隊員を入隊させ、レンジャー技術を習得しました。
昭和52年 西宮市防災訓練にて、丸太橋を組み上げて人命救助する特別救助隊員
不撓不屈の精神
陸上自衛隊伊丹駐屯地で習得したレンジャー技術は、ロープという限られた道具を駆使し、過酷な自然環境を特別救助隊員の体力、また精神力で突破していかなければならないという想像を絶する厳しい技術でした。
特別救助隊員は、ときに樹木の幹を支点として、またときに倒木を利用して、たとえ険しい岩壁や渓谷であっても立ち向かい、人命救助という課せられた使命を全うする強い意志を持って訓練に励み、不撓不屈の精神を養いました。
昭和53年 仁川渓谷にて、救出訓練を実施する 特別救助隊
特別救助隊発足当時の体制
発足当時の特別救助隊は、特別救助隊員を市内の各消防署へ分散して配置することで、西宮市内全域で発生する各種災害に、偏りなくレンジャー技術を習得した特別救助隊員を出動させる体制としていました。 レンジャー技術の伝承は、陸上自衛隊第三十六普通科連隊派遣の6名を中心として実施し、各署の特別救助隊員を消防本部や、鳴尾消防署に集結させ、継続して取り組みました。
昭和50年 鳴尾消防署にて、懸垂降下訓練や平行渡過訓練を実施する特別救助隊員
昭和52年 カネボウ西宮夙川グリーンマンションにて、ロープブリッジ渡過訓練を実施する特別救助隊員
昭和53年 阪神百貨店にて、ロープブリッジ救出訓練を実施する特別救助隊員
このように産声をあげた西宮市の「特別救助隊」。
救助専任部隊の発隊は、その後、装備や消防車両等の変革を促し、消防署への訓練施設の設置、職員の教育、訓練及び研修のあり方の確立へとつながり、今日に至るまで、西宮市消防局の基礎を築いてきました。